大岡仏前
「キャー!ご無体な・・・!」
「グヘヘ・・女!貴様書付を持っておろう!」
「知りません!」
「ヘヘヘ・・強情な奴よ・・」
「お待ちなさい!」
「何だこのクソ坊主!」
「大の大人が3人懸かりで若い娘に乱暴するとは穏やかではありませんな」
「黙れこの乞食坊主めが・・・!」
「おい、この坊主からやっちまおうぜ!」
「バキっ!ドカっ!バシっ!」
「南無阿弥陀仏・・・・」
「くそー、しぶとい坊主だぜ」
「殺っちまうか?」
「気が済みましたかな?今日のところはこれでお引取り下され」
坊さんは財布を差し出した。
「お、坊さん結構持っているじゃねーか!いいところあるぜ」
「娘は人違いだったようだ。坊さん、どうもな!」
「ガッハッハ・・・!」
「あの・・・和尚さんありがとう御座いました。あ、血が・・・」
「心配無用。それより貴女が無事で何よりでした。しかし先ほどの者は・・?」
「・・・。」
「差し支えなければ身の上を」
「はい。わたしはお絹と申します。父・長崎屋利兵衛は長崎の廻船問屋でした。でも・・一昨年、ご禁制の品を持っていたと言いがかりを付けられて・・・」
「それはいかに?」
「おとっっあんは打ち首獄門、店「たな」は欠所・・・たまたま江戸のお屋敷に奉公に出ていたわたしだけが・・」泣き出すお絹。
「おとっつぁんは抜荷なんてしてません!」
「なるほど・・。それは可愛そうに。父上のご無念は察して余りありますが、拙僧には念仏を唱えてあげることしか出来ませぬ。
南無阿弥陀仏・・・」
「ありがとう御座います和尚様・・・」
「そうじゃ。今日はもう遅い・・。また先ほどの輩が襲ってくるかも知れない。三休!お嬢さんを送ってあげなさい。そして・・・」
和尚は三休に何か耳打ちした。
「はい、和尚さま!」
この和尚は一体何者であろうか・・・。
「何?人違いだっただと?」
「へい、帯もかんざしも全部調べやしたが・・・。それに変な坊主の邪魔が入りやして・・」
「馬鹿者!肌身離さず持っているとは限らぬぞ。今度その娘を見つけたらつけるのじや」
「ヘイ、旦那・・」
「和尚さん!いや、お奉行!」
「おお、三休、戻ったか」
「はい。あのごろつきは、西海屋の離れに忍び込んで行きました。おいら、天井から全部聞きました」
「そうか、ご苦労であったな」
「ではわしも出かけるとするか」
西海屋の法事に、いつもとは違う坊さんがやってきたのはその日のことであった。
「概念和尚はお旗本の急な仏事が出来て、拙僧がこの場を納めます。どうぞよろしゅう」
「はいはい、よろしくお願いしますよ」
「それにしても、実に立派な掛け軸ですな」
「これは長崎の清国人から買ったもので御座います。」
「さすがは回船問屋の肝いりですな」
「お恥ずかしい・・・」
この「お奉行」と、「和尚」は、実は同一人物であった。南町奉行、大岡越前守忠教・・・人呼んで「大岡仏前」である。
この、一風変った奉行の誕生の経緯を解説しよう。
崇源院・・・。ここの住職は、旗本で南町奉行大岡忠興の弟、桂教であった。歳は若いが徳のある僧侶として、皆から慕われていた。
そんな桂教の元に、大岡邸からの使者が訪れたのは3年前の冬のことであった。
「桂教様・・兄君が・・お奉行様が亡くなられました・・・。流行り病で・・」
「何、兄が・・。それでわしが引導を渡せと申すのじゃな?」
「恐れながら申し上げます。和尚様に置かれましては、直ちに還俗して大岡家を継ぎ、兄君の跡を継いで奉行になるようにと、老中水野様からの命令で御座います。」
「断る!わしは僧として静かに暮らす身だ。いまさら俗世に戻る気はない。兄上の読経はして進ぜる上、水野様にはそのように申し伝えなさい」
「いいえ・・なりませぬ。残された仙之介様はまだ4つ・・・。このままでは大岡家は断絶してしまいます。」
「跡継ぎがおる上、断絶はあるまい。」
「いえ、家は続いても祖先から受け継いだ奉行の要職がなくては、お家は成り立ちませぬ。それに・・」
「それに何じゃ」
「恐れながら、和尚様は北町の鳥居様をご存知ありませぬか」
「鳥居強蔵殿か?」
「はい。鳥居様は、治安の維持と風紀の取り締まり、悪の根絶を合言葉に、厳しい取調べと仕置きを行なっています。つい先日もわずか3文盗んだ子供が打ち首に・・江戸の裁きに、情けを取り戻すためにも、桂教様に是非奉行に・・・」
「わかった。それほどまで言うのであれば、わしが奉行になろう。だが一つだけ条件がある。わしはあくまで御仏に仕える身。仏法の修行は今までどおり続けさせてもらう。わかったら、鬘職人の歌丸さんにこの手紙を」
「かしこまりました」
こうして、非番の時は住職を兼ねる、半僧半俗の奉行「大岡仏前」が誕生したのであった。
小坊主の三休は孤児だったのを仏前が育てていたものであるが、彼が奉行に就任してからは、身軽さと、小僧さんという特性を活かし、密偵として悪党の動向を探る役目を果たしていた。
そして、遂に三休は西海屋から、連判状を盗み出したのだ。
「おおお、そうであったか・・・」
それによると、長崎奉行であった黒崎玄蕃を勘定奉行にするための賄賂を得るために、阿蘭陀の商人からご禁制の品を得て大阪の商人を売り、更にそれを長崎屋の仕業に見せかけるため、長崎屋の仏壇にご禁制の黄金のマリア像を置いて罪を擦り付ける、という全容が記されていたのだった。
同心たちが直ちに集められ、他の証拠を押さえる一大捜査が開始された。そして、大岡本人は・・・。
「三休・・わしは黒崎殿の屋敷に参る」
「黒崎殿」
「おお、これは大岡殿。今日は一体・・・」
「今晩は満月。ご貴殿と月見でもしようと思っての」
「堅物の大岡殿には珍しい。ほお、これは珍しい菓子じゃの」
「珍しいですかな」
一瞬表情が曇る黒崎。
パンパン
「大岡殿に茶の用意をいたせ」
「黒崎殿、かたじけないですぞ。」
「それにしても良い月じゃのう・・」
「そういえば、御嫡子玄太郎殿は昌平校始まって以来の秀才とか」
「お恥ずかしい限りですな・・」
「黒崎殿」
「どうなされた改まって」
「お人払いを願いたい」
「むむ・・わかった」
静まり返る座敷。
「黒崎殿・・この書状に見覚えはないかな?」
「むむむ!大岡殿、これは一体何の真似じゃ!」
「間違いないようじゃの・・・」
「おのれ!」刀に手を掛ける黒崎。だが大岡は平然として手を合わせ、念仏を唱えた。
「南無阿弥陀仏・・。黒崎殿、斬りたくば斬るが良い。それで貴殿の気が晴れるのであればわたしの命の一つや二つ惜しくはない。
じゃが、それでいいのだろうか。御仏に対してやましいことはないのであろうかのぉ黒崎殿。」
「おのれ大岡・・・」黒崎の振り落とした刀は、大岡の額の薄皮を破ったところで止った。流れ出る鮮血。
「南無阿弥陀仏・・貴殿のために祈ろう」
「お、大岡殿・・・拙者は・・・」
「上様なら、ここで腹を切れというじゃろうな。」
「何!お主やはり・・・」
再び柄に手を掛ける黒崎だったが、大岡は表情一つ変えず淡々と語った。
「黒崎殿・・ご出家なされよ。拙僧が得度をとらせよう。
この書状が事実であれば、黒崎家は断絶・・御嫡子玄太郎殿も切腹、家人どもも路頭に迷うことになりましょう。
だが、今御貴殿が出家し、わしの師の元で御仏に仕えて罪を悔い改め、また西海屋の悪行の証拠を出していただけるのであれば、玄太郎殿の後見には拙僧がつき、貴殿のような奉行にするのも善し、学者にするのもまた善し」
「ううう・・かたじけない大岡殿・・これが・・これが西海屋からの書状・・わしは出家するが・・玄太郎を・・源太郎をお頼み申す・・」
「拙僧は御仏に仕える身・・決して嘘は申さぬ。安心して高野山へ行かれよ」
その頃、秋月俊介ら同心たちは、西海屋の用心棒、権八らを、別件逮捕して、取調べの上、抜荷や長崎屋に対する陰謀を吐かせていた。
そして、お白州に・・・。
「南町奉行・大岡越前守様ご出座〜」
「これより長崎におけるご禁制の品、並びに長崎屋について吟味いたす。一堂のもの面を上げ」
「調べによると、長崎屋はご禁制の品々を阿蘭陀商館より買い入れ、密かに売りさばいたとあるが、左様相違ないか?」
「いいえ、おとっつぁんは抜荷なんてしていません!第一熱心な檀家のおとっつぁんが、伴天連像を持っているなんて、何かの間違いです!」
「西海屋はどうじゃ?同業の者として何か感じたことはなかったか」
「へい、私どもも肝いりの長崎屋さんがまさかあんなことをするなんて夢にも思っておりませなんだ・・」
「だが、奉行が耳にしたところによると、長崎屋が捕えられた晩、そのほうの番頭が飛び出すのを見たという者がおる。また、その晩のそのほうの船がどこにあったかが知りたいものだ」
「滅相もない。番頭さんは私の煙草入れを取りに伺っただけですよ・・また回船問屋ですから船は常に動いております。」
「では、長崎屋の件とそのほうは全く関係ないというのだな?」
「へい」
「ところで西海屋、この方を知っておろうか?証人をこれへ!」
「あ、あんたは権蔵親分・・・」
「この権蔵は、おまえの命でお絹を襲ったと白状しておるが、相違ないか?」
「滅相もない。わたしはこんな方知りませんよ」
「ではなぜ名を知っておる」
「それは・・・」
「やっぱり、西海屋さんだったのね!おとっつぁんに濡れ衣を着せそのうえあたしをかどわかそうとした・・・酷い人だわ!
そうよ、この親分に間違いないわ!」
「お絹、控えよ。お白州であるぞ」
「西海屋、その方、番頭の佐吉及び、権蔵に指図して長崎屋の厨子にご禁制の品を隠したのであろう!」
「そんな無体な・・・証拠はあるのですか!」
「旦那・・往生際がわるいぜ」
「お奉行様に申し上げます。勘定奉行黒崎様の直々の指名で肝いりをおおせつかったこの西海屋を、このようなごろつきや小娘の証言だけで罪をでっち上げるのはお上に唾を吐くに等しいことですぞ!」
「そうであったか・・・。それは済まぬことをした。その方の疑いは晴れてはおらぬが、証拠不十分である。この奉行が至らなかったことを許せ」
「へい、わかっていただけれはいいんでございますよ、ウシシ・・・」
「お奉行様!酷い・・・」
「旦那・・それはないぜ・・・!」
「鎮まれ。お白州であるぞ。」
そして退廷しようとする西海屋を呼び止める奉行。
「西海屋、そういえば昨夜、黒崎殿は俄かに思うところがあって出家したぞ。」
「え、黒崎様が!」
「どうしたのだ。黒崎殿が出家されると何か不味いことでもあったのかな?」
「そ、それは・・・」
「では今一度訪ねる。その方、真権蔵を使って長崎屋を陥れたのではないのだな?」
「へい、神仏に誓って」
「まこと御仏に誓って知らぬというのだな!」
「それはもう・・・」
「喝!」
「あっ!」
「うっ!」
「げっ!」
「あ、貴方様は・・・・?」
「あ、あのときのお坊さん・・・」
「クソ坊主・・・・」
「西海屋、その方の離れにあった掛け軸は、長崎屋のものであったことがわかっておるぞ。
お絹、しかと相違ないな?」
「はい、これはうちのです」
「三休!」
「へい、和尚さん・・いえお奉行」
「ここにその方らの陰謀の記された連判状がある。奉行の目はごまかせても、御仏の目はごまかせないのだぞ!
奉行は御仏に仕える身ゆえ、そのほうの良心に一縷の期待をしていたのだが・・・とんだ悪党であるな・・・断じて許しがたい!」
「・・・・」うつむく西海屋、権蔵・・・。
「裁きを申し渡す。その方らの悪事、ご定法に照らして断じて許しがたい。よって、市中引き回しの上、打ち首、獄門・・・と言いたいところじゃが、死一等を減じて、鬼界ケ島に出家の上終生遠島を申し渡す。島では長崎屋の霊に詫びて念仏を唱えるが良い。引っ立て」
鬼界ケ島は、かつて平安時代文寛上人が流された南海の孤島である。死罪よりひどい環境であった。
「お絹、その方の父の濡れ衣は晴れたぞ。いずれ良き婿を取って長崎屋を再興するがよい。よかったのお・・これも皆御仏のお心。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・。これにて一件落着」
こうして、西海屋の陰謀は終った。
そして数日後・・・
托鉢をする奉行と三休。
「あ、お奉行様・・いいえ、和尚様・・・」
「おお、お絹・・どうしたのじゃ、旅姿で・・・」
「ええ、実はあたし・・これから鎌倉の尼寺に行って、尼さんになっておとっつあんの菩提を弔うことにしましたの。今回のことで、仏様のありがたさがよくわかったから・・・」
「おお、それは良い心がけじゃ。奉行からも庵主によく話しておこうぞ。南無阿弥陀仏・・・」
こうしてお絹もまた尼僧としての人生を歩むことになったのだ。
黒崎玄蕃は、出家したのち、信州の貧しい寺の住職となって一生を終った。幕閣入りは遂に果たせなかったが、すっかり牙を抜かれた丸い人柄になって村人に慕われながら世を去ったという。
西海屋は、島での暮らしに耐えかねて抜けようとしたところ、鮫に食われて生涯を閉じた。死罪にならずとも、死ぬ運命にあったのであろう。全ては御仏が裁いたのである。奉行は何もしていない。
南無阿弥陀仏・・御仏は全てお見通しなのだ・・・。
やがて、慈悲の心で名奉行と言われるようになった大岡仏前だつたが、甥の仙之介が19歳になると同時に家督を譲り、三休とともにいずことなく旅立って行ったと伝わる。
完